黴(かび)のようなもの

Posted by 松長良樹 on 27.2011 0 comments 0 trackback
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 あいにくのどしゃぶりであった。その日、学校帰りの祐介は傘を持っていなかった。
 駅から家までの間、祐介は駆け足で雨に濡れて家に帰った。あいにくコンビニもない田舎の駅なのでビニール傘も買えなかった。生暖かい妙な南風が吹いていた。
 梅雨の雨が妙に身体にべとついている。家に帰った祐介はすぐにびしょびしょの制服を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。
 何の気なしに石鹸で身体を洗ううち変な感触が右手に残った。
 ざらざらとした異質な感触だ。祐介は自分の左腕を見て驚いた。二の腕に青黒いカビのようなものが生えていた。タオルで擦ったが落ちなかった。直径二センチぐらいだろうか、青みががった痣のようでもあった。風呂から上がっても気になって仕方なかった。
 祐介は中学二年生である。妹の香苗がそれに気づいて寄ってきた。
「おにいちゃん。なにこれ、腕にカビ生えてる」
 と言って、小六の香苗が腕をつかんでしげしげと眺めた。
「うるさいなあ。カビじゃないよ」
 祐介がそう言って手で隠した。母親がそれを見つけて医者に行けばと言った。次の日になってもカビは取れなかった。かゆみがあった。祐介が自分の部屋で虫眼鏡を使ってそれを見ると小さな密林みたいになっていた。
 細密な毛のような草のようなものが、腕のその箇所に密生していたのだ。
 なんだか背筋がぞーっとして祐介は医者に行った。塗り薬を付け包帯を巻いてもらった。
 医者の話だと珍しい真菌の類だと言う。塗り薬で直るでしょうと医者は言ったが、それは直らなかった。
 ――祐介は憂鬱そうな顔をしていた。
 香苗は兄の変化にいち早く気づいた。身体のと言うより祐介の心の変化にだ。祐介の表情から感情らしいものが消えたのだ。口数が減り何に対しても無感動になった。
 学校から帰っても腹が減ったとも言わず。好きなテレビも観ず、ぼーっとしている。
「にいちゃん、変だよ。どうしたの?」と香苗がきいても、答えすら返ってこない。
 その日から祐介は引きこもりになった。

 一ヶ月が過ぎた。当然のように両親が、こんなことで進学できるのかと心配した。何を話しても上の空だったし、父親が厳しく叱っても事態は変わらなかった。
 ――そんなある日。祐介は自分の部屋で寝転んでいた。左腕がむず痒くて包帯を取ってみた。痣のようなものは一回り大きくなっていた。
 それが見る見るうちにその形を変えていった。それは形状を何度もめまぐるしく変化させ、最後に人の顔になった。深い緑色の顔だ。
 その顔がじっと祐介を見つめた。
 祐介は叫びたいほど怖かったが、口に接着剤でも流し込まれたように一言も口がきけなかった。その顔は次第に祐介の腕を肩の方向に移動をし始めた。右手で肩を抑えたが無駄であった。それは首筋を移動し、ついに雄介の顔にまで迫ってきた。心臓は当の昔に凍りついたようであった。どうする事も出来なかった。
 それはついに祐介の口元に到達してしまった。そして口から喉の奥へと侵入した。異常な違和感が祐介を襲った。のた打ち回るほどの衝撃でもあった。
 祐介が床にばたんと倒れて死んだように動かなくなった。
 そのまま時間が経った。かなり長い時間だった。

 祐介の目が開いて起き上がった。眼をパチクリさせてまわりを見回していた。何か吹っ切れたような顔をしていた。

 ――家族は部屋から出てきて、にこやかな笑みを湛えた祐介に最初は驚いた。ちょうど丸い食卓を囲んで家族で夕食というタイミングであった。
 いつも帰りの遅い父が珍しく食卓の中央に座り、母がその横に座り、妹がいておばあちゃんもいた。暖かな団欒風景であった。
 突然祐介が父の横に座った。父が驚いたような顔をしたが、祐介は言った。
「父さん。母さん。心配かけてごめんなさい。なんだか凄くいい気持ちなんだ。僕は明日から心を入れ替えて学校に行くよ。僕はここのところどうかしていたのさ。なーに、一ヶ月のブランクぐらいすぐに取り戻せるさ。心配ないよ」
 ここのところすっかり白髪の増えた父が厳しい顔をほころばせた。
「祐介。おまえ…… まあ良かった。厳しく叱ったりして父さん悪かったな。おまえを心配したからこそだぞ。でも父さんはお前を信じていたさ。俺の息子だからな」
 母は目頭をあつくして神妙な声で言った。
「顔色もいいよ祐ちゃん。母さんうれしいよ」
 妹も言った。
「兄ちゃん。ひきこもり撤回? ニート辞めんの」
 ばあちゃんはただ笑っていた。
「母さん、なんだか喉が渇いたんだ。食事の前に水を一杯くれない?」
 祐介が言った。
「ああ。いいよ」
 母が冷蔵庫から冷えた水をコップで持ってくると、祐介が一気にその水を飲み干した。
「実においしいね、この水。僕はこんなにおいしい水を今まで飲んだ事がなかったよ」
 そう言って祐介が『にっ』と笑った。そしてその笑いが『にたっ』となった。そして『にっこり』に変化した。 そしてそれが満面の笑みに変わった。
 祐介の白い歯が見えた。同時に前歯の間から蔦のようなものが勢いよく伸びた。それと同時に耳の穴から植物の芽が飛び出した。鼻から草が伸びた。髪の毛が逆立ち黒い葉になった。そこに奇妙な赤い実が生った。全てが同時に展開された。ぜんまい仕掛けのようにそれらがはじけた。
 祐介が口を大きく開いた。緑色の茎みたいなものが何本も伸びて黄色や赤の花々が出てきた。そして祐介の特上の笑顔のなかで様々な花が咲き乱れた。
 香苗はすっ飛んで逃げた。
 母親は気絶した。
 父はただ「うーん」と唸った。
 ばあちゃんはただ笑っていたが、入れ歯が外れた……。

                                 おしまい。
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