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情念

Posted by 松長良樹 on 05.2011 0 comments 0 trackback
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 フランソワの笑い顔といったら輝くように暖かくて、それでいて秘密めいたところがあって、もう中年をとうに過ぎて壮年に差し掛かったロベールにとっては、魅力的を超えて魅了的だった。
 赤い屋根のフランソワのカフェは長い石畳の坂道の中腹にあり、フランスの片田舎のアルルの街ではちょっと洒落た感じの店であった。もっとも店のつくりとか、そこに出されるチーズやカレー風味の肉が固いとか、柔らかいとかそんな事はロベールにとってどうでもいい事であった。  
 重要なのはそこにフランソワが居て、なんの変哲もない些細な会話を楽しめるというそれだけの事だったのだ。
 フランソワの笑みは高僧さえ一夜で堕落させてしまう程の艶やかな魅力を秘めていたし、その肌は雪のように眩しく白くなめらかで、きっと美の女神が彼女を見たら嫉妬の炎を激しく燃え上がらせ、二度と彼女のもとには現れはしなかったろう。
 ロベールは画家であった。しかし殆ど無名でここ久しく絵が売れたこ事がなかった。週に一度は絵を描いて画商の店に顔を出すのだが、画商はあまり良い顔もせず『もっと売れそうな、綺麗な花や婦人でも描いたらいかがですか』と幾分冷酷な微笑を浮かべるだけで絵を店に置いてはくれないのだった。真実を吐露してしまうのなら彼は本気で絵は描いても、本気で絵を売ろうとはしなかったのだ。
 彼の描くものときたら暗い風景画か、なんだか訳のわからない抽象絵画ばかりで多分余程の物好きでない限り、それを応接間に飾ろう等という人は稀だったに違いない。
 そう、彼は金も若さもない離婚歴のある六十過ぎの男で、芸術家としてのプライドに満ちてはいたけれどどこか滑稽で、その彫りの深い顔にはいつももの悲しさまで漂っていたのだ。

「いやあ、こんにちはフランソワ」
 金曜日の午後、ロベールはそう言っていつものビールを頼んでから、ゆっくりとカウンター席に着いた。
「ハーイ、ロベール…」
 彼女の持ち前の明るく愛想のいい返事が返ってきたが、この日に限ってフランソワはすぐにロベールの前に来てはくれなかった。彼女はその時若い男と話しに夢中で、うっかりすれば彼が店に来た事にすら気付かない可能性も否めなかったのだ。
 若い男は群青色のセーターを着ていて目鼻立ちの整った気さくそうな青年だった。
 青年が笑い、フランソワのご満悦の表情が輝いていた。その途端ロベールの心に嫉妬の炎が燃え上がった。例えるなら水を入れすぎて溢れてしまいそうなグラスの水面のように、ロベールの心は安定を失い何か得体の知れない強い感情に突き動かされたのだ。
 その時始めてロベールはフランソワへの想いが単なる友愛などではなく、心の奥に紅蓮の炎を抱くほどの情愛だと知ったのだ。
 何度かロベールは無理に笑顔をつくって彼女に話しかけたりはしてみた。しかしフランソワは一瞬だけ彼に顔を向けただけで、青年との話しに夢中でほとんどロベールにはお構いなしだったのだ。

 その日の夜ロベールはなかなか寝付かれなかった。そしてこう考えたのだ。
(しかし、見慣れないあの若い男は誰なんだ。ただ若いというだけでフランソワはあんな風に目尻を下げて話をするのだろうか、顔立ちがちょっと良く、話が多少上手いと言うだけでフランソワはあんな風に…… ああ、ただ若いというだけで)
 狂おしい夜の中で彼は身悶えした。この時ほどフランソワが欲しいと思ったのは初めてであった。彼は寝付かれないままベッドから起きだし、絵筆を握った。そしてカンバスに何を思ったのか自画像を描き始めた。
 傍から見たらその時のロベールは狂気じみていたに違いない。彼の描き出したのは鏡に映った自分ではなかった。彼のずっと若い頃の写真の自分であったのだ。セピア色の色褪せた写真……。彼は夜中だと言うのにその創作行為を一心不乱に続けたのだ。
 翌朝彼は疲れて深い眠りについていたが、又目を覚ますと若者の自分をカンバスに写し出していた。この上もない情熱を注いで、丹念に入念にカンバスに向かったのだ。

 ロベールが次にフランソワの店に出かけた時には、彼は疲れていた。徹夜に近い仕事を連日していたのだから無理もなかった。
「まあ、ロベールきょうは随分疲れた顔をしているのねえ、身体の調子でも悪いの?」
 率直な話し方をする彼女はストレートにそう訊いた。
「やあ、フランソワ。僕は今凄いものを描いているんだ。連日遅くまで仕事をしている。だからちょっと疲れているが、その絵が完成したらきっと君は目を見張って驚くかもしれないなあ」
「まあ、大作でも書き始めたのね。楽しみねえ、どんな絵なのかしら」
「フランソワ、君には感謝しているよ。僕の小さい絵を店に飾ってもらってさ」
「何を言うの、あなたの素晴らしい絵を飾らしてもらってこちらこそありがとう。ロベール」
 彼女は数少ない彼の絵の理解者であり、彼の絵のファンでもあったのだ。それはロベールにとって有難い限りで、彼女の為にだけにでも十分画家でいられると思えたのである。 
 それから例の青年の件であるがロベールはそれとなく訊く事もできず、フランソワもその事には一切触れなかった。

 ロベールの創作はそれからも続いた。来る日も来る日も彼はそれに全てを捧げるようにして取り組んだ。雪の降る寒い晩もそれは続いたのだ。
 ――そしてそれはついに完成した。等身大の自画像が大きなカンパスに描かれたのだ。最後に彼はカドニュームレッドで自分の頬を多少赤くすると筆を置いた。
 カンバスの中で若い自分が微笑んでいる。その自分を彼はただ見つめたのだ。しかし、その見つめたと言うのが尋常ではなかった。まるで霊能者がトランス状態にでも入ったような、風変わりで異常な眼差しでその絵を凝視したのだ。
 そして高らかに、しかも噛み締めるように彼はこう叫んだ。
「若かりしロベールよ、今、蘇れ若き情熱の使いよ、もう一度我になりてわが想いを叶えよ!」
 途端に絵の中のロベールに生気が宿った。彼は目を爛々と輝かせ、絵の中から抜け出てきたのだ。それと入れ替わるように壮年のロベールは絵の中へと吸い込まれていった。絵の中に納まった彼は暫らく密かな微笑を湛えていた。そして目を閉じてじっと動かなくなった。

  *  *

 よく晴れた日だった。ポプラの高木が天に届くほどに聳え立ち、柔らかな春の気配がロベールの足元に絡みついていた。その大地から湯気のように立ち上る息吹を、彼は爪先でかき分けて歩いていた。その若く艶やかな髪を持つ青年はポプラ並木を真っ直ぐに歩いていた。そう、フランソワの居るあの店に向かって……。

「やあ、フランソワ」
 彼は忙しそうに洗い物をしているフランソワに声をかけると、いつものように黒ビールを注文してゆっくりとカウンター席に座った。
「いらっしゃいませ」
 そう言ってフランソワが応じたが、最初は気がつかなかった。しかしロベールが薔薇の花を一厘カウンターに置くと不思議そうな顔になって彼を見つめた。
「フランソワ、僕がわかる? ねえフランソワ」
 彼女は無言で暫らく彼を見つめていたがやがて、はっとして足元が揺らいだ。
「フランソワ、僕はロベールさ。若返ったんだ。僕がわかる? ねえフランソワ」
「……」
「フランソワ、以前の僕は君にふさわしくなかった。あまりに惨めに歳をとり、君に告白する勇気もなかったんだ。でも今は自分に自信があるんだ。この張りのある肌を見てご覧よ、若さに満ちて輝いているだろう」
 フランソワはただ黙っていた。
「君は素晴らしい女性だ。フランソワ、僕は君を幸せにしてみせる」
 フランソワは笑わなかった。まったく表情も変えずに毅然にこう言ったのだ。
「あら、おあいにくさまロベール。あなたを見損なったようだわ、あたしの知るロベールは、そりゃ歳をとっていたけれど卑劣な人じゃなったわ、お金も名声も何も無かったけれどプライドと言う宝物を胸に秘めていたの。あたしの好きなロベールは売れない画家だったけれど、女々しい人では決してなかったの」
「な、なにを言っているんだいフランソワ… 一体なにを言ってる」
「帰ってちょうだい、ロベール帰って!」
「……」
 ロベールの落胆振りはあまりに痛ましく見るに忍びないものさえあった。彼はそれ以上語らなかった。まるで囚人が判決でも下されたかのように、肩を落とし神妙に店を立ち去ったのだ。
 フランソワは彼が出て行くまで毅然と立っていたが、彼がもう戻らないと知るとその場にしゃがみこんで嗚咽した。
「ああ、ロベールあなたは馬鹿よ、大馬鹿だわ」
 彼女は誰にも聞こえないようにそう呟くと、またせっせと洗い物をかたずけ始めた……。


                          FIN


   与えようとばかりして、貰おうとしなかった。
   なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか……。

                フィンセント・ファン・ゴッホ

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