愛しき君を食す 5

Posted by 松長良樹 on 02.2011 0 comments 0 trackback
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 堪らない悲哀とどうしようもない絶望感で私の心臓は張り裂けそうでした。
 私は取り乱して自分の部屋に逃げるように駆け込んで鍵をかけました。そして泣いたのです。その嗚咽は果てしなく続きました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。
 よりによって彼が、ああ、愛する彼が私の耳を食べるなんて! そんな馬鹿な事があって良いものですか! それに残酷な事にあの人は私にまで自分の耳を食べさせた。私の彼に対する信頼は瓦礫のように崩れていったのです。私は無意識にベッドのシーツを引き裂いていました。戦慄と恐怖が私の心を何度も襲って来ました。
 その夜は一晩中泣きはらして瞼が腫れる程でした。
 しかし夜中に目を覚ました私は一種異様な情動が身の裡に芽生えているのに気づいたのです。それはついさっきまでの私の心を支配していた憤り等ではなく、何とも奇妙な陶酔感だったのです。言いようない恍惚感だったのです。
 私はそれでも、そんな仕打ちをされてまで、まだ彼を愛しているのでした。そして耳の一つがなんだと、さっきの自分とはまるで正反対な気持ちが私の心をいつの間にか支配していくのです。
 彼はきっと私を愛しすぎて少しおかしくなったのだ。食べてしまいたいほど私を愛しているのだ。だったら喜んで食べさせてあげましょう。いつの間にか私はそういう風な切ない気持ちで心をいっぱいに満たしているのでした。ああ、私はマゾヒストなのでしょうか――。
 朝になりドアにノックの音がしたとき、私は中々ドアを開けられませんでした。新太郎が怖かったのです。やはり恐怖の念は私の心に強く警戒心を植え付けていたのです。しかし暫らくするとドアの向こうから新太郎の嗚咽が漏れてきたのです。私はその異常な泣き声についドアを少し開けてしまいました。
 彼は真っ赤に充血した眼をして私を抱きすくめました。そして泣きながらこう言うのです。「済まない、本当に済まない。僕はどうかしていたよ! 君を愛するあまり、精神に異常をきたしたんだ。僕が憎ければ好きなようにしておくれ! ああ、この僕を罰しておくれ!」
 私は彼の言葉と哀れになるほどの態度に絆され、すっかり彼を許してしまったのです。
 そして私は彼に、今後私を食べたくなったらいっそ殺してください。と真剣にそう言ったのです。さすがに新太郎は私の言葉に面食らって黙って深く頷きました。
 そしてその悪夢のような恐ろしい出来事はいつしか時間とともに記憶の彼方へと霞んでいったのです。それからの二人は一切そのことには触れませんでした。私は耳のイミテーションを付けて髪を長くして耳を隠していました。そして二人の幸せがようやく戻ってきたかの様でした……。

                             つづく
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