奇癖

Posted by 松長良樹 on 17.2011 0 comments 0 trackback
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 ――晩秋の落日であった。
 広い路に銀杏並木がどこまでも続いていた。まるで赤や黄色の折り紙が万華鏡の中で煌くようであった。
 その路を重そうなコートを羽織った男が歩いている。頬に艶があり、彼が青年である事がわかった。低い煉瓦塀が路沿いに続いていた。
 その塀が切れたところに大きな屋敷の門があった。そこで青年は足を止めた。そこに老人が屈み込んでいるのを眼に留めたからである。
 門の横で顔に深い皺を刻んだ老人が屈み込んでいたのだ。
 ただ屈み込んでいたのではない。老人はそこで焚き火をしていたのだが、その燃やしているものが尋常ではなかった。老人が遠い視線のまま火中に投じているもの――。
 それはなんと紙幣であった。それも一枚や二枚ではない。
 青年は最初じっとその光景を傍観するようであったが、そのまま行過ぎる事の出来ないようすで口を開いた。
「ご老人。なぜ金を焼くのです? 訳を教えて欲しいものです」
 落ち着いた青年らしからぬ声のトーンであった。老人がふと顔を青年に振り向けたが、無言でなにも語らなかった。
「紙幣を焼くとは、どうかしている……」
 青年が言いかけると老人が、にわかに枯れた声で言った。
「これはわしの金じゃ、どうしようがわしの勝手じゃないか」
 老人はそう言って振り向けた顔を元に戻した。
「――しかし」
「あんたには関係のないことじゃ」
 老人は溜め息と共に気だるそうに言葉を続けた。
「なにか訳があるのですね」
 青年が言った。
「……」
 老人は視線はどこか虚ろで遠い彼方に注がれていた。
「この紙幣は今時に使えない」
 老人がぽつりと言った。
 青年が札を良く見ると随分と昔の紙幣で、骨董屋か歴史資料館にでも行かなければお目にかかれる代物ではなかった。
「あんたは時間の旅を信じるかね」
 不意に老人が青年の眼を覗き込んだ。心が他の場所にあるかのようであった。
「はあ……」
 青年が返す言葉に困った。
「使えないものはいらない」
 老人は布製の大袋を横に置いて、その中から札束を引き出しては家中に投じている。
 青年は怪訝な表情でその光景を凝視していた。青年の顔が炎で赤く見えた。
「時間の旅とは、どういう事ですか」
 青年の瞳に興味の光が揺れるようであった。
「わしは…… 時間旅行者じゃ」
「時間旅行?」
 言って青年が身をすこし屈めた。老人の風貌は頑固者にも見えたが、哲学者や易者にも見紛うような何か得体の知れなさがあった。
「気違いと思うなら思いなさい」
 老人が言った。
「いや、僕はなにも」
「わしは楽がしたかった」
「……」
「だからある時、わしはある銀行に上手く忍び込んだ。そしてこの金を袋に詰めて時間の彼方へ逃げたのじゃ」
 青年は半信半疑な表情を崩さなかった。
「しかし、この時代ではもはや、この札は使えん」
「……」
 沈黙が暫らくその場を支配した。そして青年が言った。
「だから… 焼くんですか」
「そうじゃ」
「時代を戻れないのですか」
「わからん。それにわしはもう疲れた」
 青年の脳裏に妙な感覚が走った。老人の言葉を信じたい自分とそうでない自分。その二人の青年が心のうちで葛藤しているような表情であった。
「あなたは時間を旅できるのですか?」
「ああ、体質なんじゃ。子供の頃坂道で転んだ時、昨日に戻っていた」
「昨日に戻った」
「ああ、そうとも。同じ日を二回繰り返したんじゃよ。だがわしはそれを認めるのが怖くて、自分の中に仕舞い込んでいた。何食わぬ顔でその時はやり過ごしたんじゃよ」
「……」
「そしてわしは少しずつ能力を高めていった。より遠い時空に飛べるようになったんじゃ」
「想像もつかないですね」
 青年はさらにしゃがみこんで溜め息をついた。
「時間旅行ですか……」
「わしは時のさすらい人じゃ。いや、さすらい人だったんじゃ。わしはもう歳だし、時代旅行はもう無理なんじゃ」
 青年が急に頑なな表情をつくった。
「実は僕は過去に戻りたいんです」
「過去に戻りたい」
 老人が青年の言葉を繰り返してかぶりをふった。
「いったいなぜだい?」
「恋人の綾乃を事故で亡くした」
「ほう」
「だから僕は過去に帰って生きた彼女と会いたい。そして事故を回避させたいんだ」
「事故? どんな事故だい」
「彼女は心の病気で自ら命を絶ったんです」
「それはまた、切ない話だ」
 老人が少し悲しそうな顔をした。
「僕は彼女がなぜ死んだのか。なぜそうなったのか、その訳を確かめたいんです」
「そうか」
「ええ、僕は彼女をどうしても忘れられない」
 青年の眼が微かに潤んでいた。
「死の淵から恋人を救いたいと言う事か」
「はい……」
 それから二人は寡黙になった。何も語らずじっと揺らぐ炎を見つめていた。

 不意に老人が腰をあげた。そして枯葉を一歩踏みしめた。
「だめかも知れんがもう一度やってみよう。過去に戻ろうじゃないか。わしはこの金の為に。そしてあんたは恋人の為に」
 驚いて青年が暫らく老人を見上げ、やがて自分も立ち上がった。
 黄昏の柔らかなベールが二人を包み込んでいた。

 老人が頷くようにして青年に手を差し伸べた。
 青年がゆっくりと老人の手を取ろうとした。
 にわかに青年の瞳が輝いて歓喜が突き抜けるようであった。

 しかしその歓喜の表情は長くは続かなかった。なぜなら老人の姿が忽然とその場から掻き消えたからである。
(どうして……)
 という表情を青年がして、途方にくれてその場にしゃがみこんでしまった。


 青年がうなだれて頭を冷たい煉瓦塀によりかけた。青年の頬に光るものがこぼれた。
 その時背後で声がした、抑揚のある心地の良い女性の声だ。
「さあ家に入りましょう。ここは寒いし、風邪でも引いたら大変よ」
 青年に反応らしいものはなかった。表情さえ消え果てていた。
「きょうは何を見たのかしら?」
「……」
 白衣の女性が青年の肩に手を回した。
 すると青年が虚ろにゆっくりと立ち上がった。
 一陣の風が枯葉を舞い上げ、青年は老人の消えた場所を何度か振り返った……。


                          了

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