一陣の風

Posted by 松長良樹 on 12.2012 0 comments 0 trackback
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 ――隼人は最近早口になったねと人から言われたとき、なんだか不思議な気分がした。自分ではまったくそうは思っていなかったからだ。ただ少しばかり思い当たる節もあった。なんだか最近気が短くなったようで、多少苛々するのは確かなのだが……。
 近頃、周りの人間のやることのテンポが遅くてまるで田舎にいるように感じてしまう。会社に行っても職場の人間の仕事ぶりが歯痒くて仕方がない。どいつもこいつも間抜けのように見えるのだ。いったいどうしたと言うのだろう? 
 隼人はどちらかと言うとおっとりした性格の青年であった。その隼人に確実に変化が生じ始めている。 例えば朝の通勤でバスを待っていたとき隼人はなぜか歩いたほう早いと感じた。
 そんなわけはないのである。しかし彼はそう感じたのだ。そしてどうしたのかというと隼人は歩き出してしまったのである。それもバスよりも早く……。
 会社に着いた彼の目の前には、ポスターの校正やら、グラフの製作やらの面倒な仕事が山のように積んであった。いつもならぶつぶつと愚痴をこぼしながらそれを片付けるのだがいつもの彼とはなぜか違っていた。
 なんと机上の山のような仕事をまったく意欲的に目にもとまらぬスピードでこなしていったのだ。キーボードの速さはブラインドタッチのレベルではなかった。
 狂ったようにタイプを打つ彼はもはやパソコンの処理速度が追いつけず、画面を固まらせてしまうほどであった。まわりの同僚はただただ驚愕し、感嘆し、恐れ慄いた。そこに神業と言うものを見たのだ。
 通常の人間なら優に一週間はかかる事務仕事を彼はわずか数十分でこなしてしまったのだ。まさに目にも留まらぬ早業であった。周りの人間が一瞬固まった。ライターの早苗は会社で一番キーボードが早かったが口をあんぐりと開けたまま暫らく閉じられなかった。
 まわりの人間は奇人でも見るようであったが、上司が彼に話しかけても、その答えがあまりに早口で蚊の羽音のようにしか聞こえてこず、結局誰も彼と会話をしようなどとは考えなくなっていた。
 それは隼人が新卒で広告会社に入社してから二年目の脅威の出来事であった。
 ――彼の両親もただ驚くより他になかった。息子の動作がえらく速いのだ。
 隼人の目に他の人間の動きがスローモーションに映りだしたのは、それから間もなくであった。家族の声が低音でなんとも不気味な声音であった。こうなると苛々どころではなくなった。自分がどうにかなってしまったのかと思ったが、周りの事象のことごとくが遅くなったのか、自分が異常に速くなってしまったのかわからなかった。
 しかしそれは良く考えるとどちらでも同じことだと悟った。時間が経つにつれ、その変化は益々加速し決定的なものになった。ついに周りの人の動きが完全に止まったてしまったのだ。同時に取りとめのない孤独と恐怖が隼人を襲った。街中に石のように動かない人々が溢れていて誰とも話せず、凍ったように動かない時間。
 彼は頭を抱えて会社のデスクにうな垂れて座り込んでしまった。中天に太陽があり、それは灼熱の陽光を放っている沈まない太陽であった。全身が訳もなく小刻みに震えた。取り残されたような疎外感。
「なんなんだ、これは! いったいどうなっちまったんだ!」
 隼人は堪りかねてありったけの声で叫んだ。固まった街中を廻ったが、どこもかしこも動かない風景を見事に作り上げていた。気が狂いそうだった。冷たい汗が頬を伝った。
 家に帰った隼人は完全に驚嘆した。テレビを見ながら母が固まっていたのだ。ソファに座り、リモコンを手に持ったまま固まってしまった母。たまらず肩を揺すってみたが無駄であった。恐ろしかった。なんとも得体の知れぬ心持ちである。
 隼人はいたたまれず街中を駆け出した。どこかで動くものを見たかったのだ。隼人はこう思った。――通常から高速で動くものであればまだ止まらずにいるかも知れない。
 彼は街をかけ廻ったどこかに何か動くものをもとめて。しかしどこもかしこも電車も車も全く動かない。まるで額縁の中の風景画と変わらなかった。諦めかけた時、自動車の修理工場が目に入った。そして重く低い音が微かに隼人の聴覚をとらえた。
 無意識に中に入ると、二人の氷の男がレーシングタイプの外車のボンネットを開けて中を覗き込んでいる風景が目に入った。その視線の先についに動くものがあった。それはエンジンの冷却ファンでそれはたしかに動いていたのだ。動くと言ってもそれを長時間凝視したままでやっと動きを認める程度の至極ゆっくりとしたものであった。しかしそれに隼人はえらく感動した。泣けてくるのを懸命にこらえたほどだ
 そのうち隼人は疲れて路面に座り込み、何気に空を見上げてそこに黒い塊を発見した。最初はまったくなんだかわからなかった。カラスかと思ったが違っている。隼人はビルを駆け上がり、三階の窓からそれを確かめようとした。
 そしてそれが何かを知ると、驚きと恐怖で身が縮み上がった……。

 それは可憐な少女であった。中空に絶望的な表情をしたまま硬く目を閉じて浮いている。
 しばらく呆然とその異様な光景を眺めていた隼人であったが、状況が徐々に飲み込めてきて、ついにこれは自殺だと思い当たった。今ビルの三階の窓からそれを見ているのだが、少女はこのビルの屋上から身を躍らせたに違いないのだ。
 隼人は10階建てのビルの屋上に駆け上がり、そこから少女を見下ろしたり、また下まで降りて少女を見上げたりを何度も繰り返した。
 そして思わぬことに気づいた。見上げる少女の姿が微かではあるが大きくなったのである。錯覚とも思ったがそうではなかった。例の自動車ファンが脳裏をよぎる。そうなると例えようもない焦燥感が隼人を襲った。超スローモーションではあるが、少女は確実に落下しているのだ。
 闇雲になんとかしなくてはいけないと思った。なんとしても少女を救わなければと思った。しかし、どうする?
 隼人はデパートに走った。そして大きなマットレスを台車に乗せ、少女の落下予想地点までそれを運んだ。もちろん料金は払っていない。固まった無愛想な店員であったからである。
 少女の姿は益々大きくなっていた。いつの間にか地面まで数メーターの地点まで迫っていたのだ。隼人はもうここを動けないと思った。
 よくよく少女を凝視すると中学生か高校生で制服を着ていた。隼人はマットレスが衝撃でずれないように両手で押さえて足をふんばった。そのときには少女は数十センチの至近距離に迫っていた。
 隼人は無意識に歯を喰いしばった。

  * *

 その少女は身体が弾んだのでえらく驚き、頭をおさえてふらふらと立ち上がった。周りの人間たちが集まってきたが、安堵のため息と同時に目撃者はこう語った。
「実に不思議なんです。僕は少女が屋上から飛び降りたのを見ていたんです。あっ!と思いましたがどうすることも出来ませんでした。それで僕が地面を見たときにはあんな大きなマットレスなどなかったのです。いったいいつの間にあのマットレスは現れたのでしょうか、まるで狐につままれたようです。透明人間か、或いはスーパーマンのように凄くはやく動ける人間でもいるというのでしょうか……」

 ――泣き顔の少女の頬にどこからともなく一陣の風が吹き付けた。
 心なしかその風が少女には妙に優しく感じられた……。

                  了
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