ある研究者の手記

Posted by 松長良樹 on 09.2013 0 comments 0 trackback
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 聡史、高校生のおまえにこの手紙を残す。誰にも知られぬように、そっとおまえのノートに忍ばせておくから、いつかはおまえも気づくだろう。おまえがこの手紙を読むときには父はこの世にはいない。許してほしい聡史、そしてどうかこの父を恨まないでおくれ。
 実は父さんは幼い頃から透明人間になりたかった。こう書くとまったく気違い沙汰だね。でも父さんは知っての通り、ついに透明人間になった。
 驚かないでくれ聡史、経緯、事情を書いておきたいと思うから、この手紙を最後まで読んでおくれ――。
 幼い頃より人一倍好奇心旺盛な少年であった私は、大人になるまで透明人間に並々ならぬ興味を持ち続けていた。中学生のとき、透明宇宙船の出てくるSF映画を観た。敵の船に透明になって近づき、いきなり姿を現して攻撃するのだ。敵は不意をつかれた格好で防戦も出来ずに敗退した。
 とても面白いと思った。その映画を観て私は透明って凄い、透明人間になりたいと心の底から思ったのだよ。その映画をきっかけに私は夢中で透明について研究を始め、苦心して勉強を重ねいつしか科学者になっていた。後で父さんが家庭を顧みず母さんと離婚したのもこの為だ。さみしい思いをさせて済まなかった聡史。
 私の研究の専門分野は光だった。映画では透明になる原理は光の屈折率を操作するのだとあったが、まず不可能だった。それで最初、なぜ物が見えるのかと言うところから私は考え始めた。それは光、ここでは可視光線のことを意味すると思ってほしい。光が物にあたると電磁波の吸収と散乱がおこる。例えば葉は赤の波長を吸収してその補色である緑に見える。逆に言うと電磁波の吸収と散乱が起こらなければ物は見えない。つまり透明なのだ。まあ、こんな小難しい話をしても仕方がない。
 私はパソコンの中にその辺のデータは詳細に残してあるから、結論結果からさきに書こう。私は肉体に光が当たっても電磁波の吸収と散乱が起こらない薬をついに完成させた。それは途方も無い根気と執念と、偏執狂的な私の性格の賜物だった。透明薬が出来た時の私は体が小刻みに震え、神経が高ぶって全く夜も寝られず、まるで宇宙がひっくり返ったような気持ちにさえなった。
 週末に私は知人の科学者と大学教諭らの親しい人達を家に招いた。その辺はお前も知っての通りだ。この時すでに動物実験は済んでおり、経口薬にした透明剤を皆の前で飲みほして透明になり皆を驚かせる魂胆だった。皆を集める口実は親睦パーティーと言う事で透明薬には一切触れなかった。
 あの日、それは空気の澄み渡った秋の夕暮れ時だった。私は素肌に白いガウンだけを纏った。そして二階の広間に集まった皆の前でこう言い放った。
「今宵ここにお集まりの皆さん。実は重大な発表があります。私は人体の透明化を永年研究してまいりました。そしてついに透明になれる薬をここに作り上げたのです。皆さん見ていてください!」
 私は間髪を入れず薬を一気に飲みほした。たぶん皆驚いた事だと思う。気でも違ったと思ったかも知れん。だが私の身体は少しずつ透明になっていった。自分で眺める両手が徐々に透き通って行くのだ。私はガウンを脱ぎ捨てた。それは透明人間の誕生の瞬間であった。歓喜が私を支配して涙さえ溢れてきた。
 が、身体が透明化していくのと並行して思いがけない事が起こった。視界が霞んで行く。この時になって初めて気が付いた。そして実験のときハツカネズミがなぜ壁に突き当たるのかその意味がわかった。その単純な意味が! 私は網膜さえもが透明になってうまく物を見ることが出来なくなっていた。
「め、眼が見えない!」
 そう叫ぼうとしたが声も出ない。私はふらりとよろめき、一時的な錯乱状態に陥った。声帯さえ透明で振動さえしないのだ。今でもあの時の皆の驚愕の歓声が忘れられない。耳の奥に今も残っている。しかしその耳さえ遠くなっていく。暫らく途方もない絶望感に苛まれたが、やがてうっすらと人が見えてきたのだ。おお、心配そうに虚空を仰ぐ人たちの顔が私には見えた!!
 それはもう物理的に見たのではない。私は別のものに変わったのだ。そして意識はどこまでも高揚していった。ああ、あのときの突き抜けるような、まるで解脱するような踰越を私は生涯忘れられない! それはなんというか天に召喚されるような愉悦。
 私の身体を構成していた粒子は分子・原子レベルで空間に拡散されたのだ。完全なる透明。真の自由を手にした思いだった。
 ――私は意識体になった。
 この手紙は助手の神田に憑依して書いてもらった。さようなら聡史、最愛の聡史。父はいつもおまえと共にある。
 

 聡史はその手紙をしばらくじっと読んで涙ぐむようであったが、やがて誰にも知られないように破いて捨てた。


                           了
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