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待つ女

Posted by 松長良樹 on 04.2013 0 comments 0 trackback
名称未設定-1[1]

 夜がよほど更けたころ、女は満月を背負うようにして静かに待っていた。その横顔はまるで日本人形の様な上品さで、神秘ともいえる柔和な、それでいてどこかに哀愁のある佇まいである。
 風が吹いていた。その風が女の紺の留袖の裾を時々翻した。女の目は何処までも続く丈高い塀を見上げ、月光がなよなよとした身体の輪郭を怪しく照らし出していた。後ろには果てしない一筋の道が霞んでいる。その道を女はとぼとぼと歩いてきたのであろう。
 そして塀と塀の切れ目には黒々とした厳めしい門が、闇の中でその頑丈そうな扉を閉ざしていた。
 伝馬町牢屋敷。女は凛として門を見上げ、拳をつくって門をたたいた。鈍い音が辺りに重く響いた。反応がない。女が焦ったような顔になった。だが女は何度も門をたたいた。執拗にたたいた。すると門がゴトリと音を立てて微かに開いた。浅黒い殆んど表情のない男の目が女を見とめた。
「こんな夜更けに誰だ」
 男の目は女を訝しんでいた。だが女はそんな事にはお構いなく、門を尚大きく開けようとした。男の身体がぬっと月光の中に現れた。すると女が縋るような声を出した。
「孝之進を迎えに参りました。お裁きで潔白が証明されたと文(ふみ)がありました。そして十月十日に牢から出られるから、門前で待っていてほしいと文にしたためてございました」
 だが男の顔は無表情のまま女を凝視した。
「女、帰れ」
「いえ、帰りませぬ。孝之進は何処でございます。会いとうございます」
「なにをいうか、この女め」
 すると女は懐から文を取り出して見せた。
「ほれ、ごらんなさいませ。孝之進からこのように確かに文が届いているのでございます」
「ええい、うるさい奴め、帰れと言うに」
 男は女が差し出す文を取り上げて路上に投げ捨てた。女が慌ててそれを拾おうとする。だが風に煽られ、薄明かりにさらされたその文はまったくの白紙である。
 その時、男の後方からいくぶん身分の高そうな初老の男が現れた。そしてこう言うのだ。
「信乃、また来たのか。おまえの倅はもう五年も前にこの牢屋で自害して果てた。まだそれが解らぬのか、哀れな女め」
 その時の信乃は地に両ひざをついて笑っていた。しかしそれは尋常な笑いではない……。よく見れば島田髷にずいぶん白髪が混じっていて、身に着けた留袖は薄汚れ、あちこち綻んでいた。そして女はまるで幽霊のように立ち上った。
「あれあれ、これはいけません。日を間違えておりました。ああ、わたしとした事が……。よくよく、どうかしておりました。それではせめて孝之進に母が元気で待っていると、どうか、どうかそうお伝えくださいませ」

 女が深く頭を下げると男は戸惑いながらも、静かに頷いてみせた。

 女の頬を伝う滴が月光を浴びて鋭く光っている。

 ――中天に満月の冴える、妖気さえ漂う一夜の出来事であった。


                           了
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