不可思議な恋

Posted by 松長良樹 on 07.2013 0 comments 0 trackback
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 ――夜道であった。場所は外堀通り、赤坂見附から四谷方面に上る紀伊国坂である。この辺は日中けっこう人通りがあるが、夜ともなると人けがほとんどなくなり、行き交うのは車ばかりである。
 秋も深まるある日の事、私は書きかけた掌編の筆が進まず、夜更けにぶらりと散歩に出て、いつの間にか、かなり遠くまで歩いてしまった。このあたりは小泉八雲のムジナの出た場所である。そんな事をふと思いつつ、夜風がかなり冷たいので、踵を返し暫らく歩くと、外灯の下にぼうっと霞む女の姿があった。幻でも見るようで私はちょっと驚いたが、女はそこにしゃがみ込み、しくしくとただ泣いている。
 普段の私であったらそのままそこを通り過ぎたに違いないのに、その時の私は魔がさしたのだろうか、それともムジナの話を思い出したせいだろうか、どうにもその女が気になって、その女の傍まで行って「どうしました?」と声をかけた。瞬間に女が顔をあげたが、その顔がのっぺらぼうではなかったので少しほっとした。
 いや、そんな事よりその女はまだ若い娘で、清純な美しさを備えていた。女は私をじっと見つめてこう言った。
「どうも道に迷ってしまったみたいで、わたし凄い方向音痴なもので。途方に暮れているうちに悲しくなってしまって」
 私はその声を聞き、顔を見た途端、彼女にひどく惹かれてしまった。あの時の不思議な気持ちは今でも整理がつかない。怪しいと言えば怪しい女なのに、どういう風の吹き回しか私はその女を家に誘ってしまった。
 私の家に入り、お互いの緊張もだいぶ解けてきた。この年齢になるまで独身の私は、なんとなく彼女の存在がうれしくなり、どこでどう道に迷ったのかと問いただしたが、それがどうも曖昧で、とにかく行きたい場所の地図を持っていたので、あした一緒にその場所に行ってあげる事にした。
 すると彼女は広くもない家の中を見回し、パソコンの前の椅子にちょこんと腰かけ、モニター画面を見入った。そこには私の拙い文章があった。
 
 ――夜道であった。場所は外堀通り、赤坂見附から四谷方面に上る紀伊国坂である云々……。そういう書き出しである。
「実はこれねえ、僕がインターネットの小説サイトに出そうと思っている創作なんだ。途中まで書いたのだけれど、後が続かなくて悩んでいるのさ」
「まあ、面白そう」
 彼女がとても興味を示した。
「いつも書くテーマがあってね、今回のテーマは恋愛なんだ」
「あなたは書けなくなって散歩に出たのね、ふーん。じゃあ、わたしが続きを書いてあげましょうか」
 私は少し驚いたが、彼女の笑顔がとても無邪気だったのでつい頷いてしまった。
「テーマが恋愛ならこうすればいいのよ」
 彼女はそう言うといきなり私の唇にそのふくよかな唇を重ねた。私はびっくりして唇を放し、まるで少年のようにどぎまぎした。
「なにをするの? いったいどういうつもり」
「あら、ごめんなさい。雰囲気を出そうかと思って」
 悪びれもしない笑顔なので私は彼女を許してしまった。そして彼女と話すうちに、彼女が夕飯を食べていないことを知った。そこで私は「自慢の特製ラーメンでも作ってあげようか」と言うと嬉しそうな眼をしたので、私はキッチンに行きラーメンを作り出した。
 彼女はどうやら本気で私の書きかけた掌編の続きを書きだしていた。いったいどんな話にするのか楽しみでもあった。
 そして暫らくしてラーメンが出来たので部屋に戻ったときには、もう彼女の姿がなかった。どこを探しても家にはいない。急いで往来に飛び出しても見たけれど、どこにも彼女の姿はなかった。とても妙な気持になった。そしてなんとなくパソコンのモニター見て私は驚いた。そこには今晩、私が彼女と会ったいきさつがこんな風に綴られてあった。

 ――秋も深まるある日の事……。と続き
 ――普段の私であったらそのままそこを通り過ぎたに違いないのに
 ――私はその声を聞き、顔を見た途端、彼女にひどく惹かれてしまった
 ――私の家に入り、お互いの緊張もだいぶ解けた
 ――すると彼女は広くもない家の中を見回し、パソコンの前の椅子にちょこんと腰かけ
 ――「テーマが恋愛ならこうすればいいのよ」
 ――彼女はどうやら本気で私の書きかけた掌編の続きを書きだしていた(抜粋)

 私は少し混乱し、食い入るようにその文章を見つめ、夢中で読んだ。それはまさに今までの出来事であった。

 そしてその物語の最後はこう締めくくられていた。
 彼女は完全に消えうせ、妙なさびしさが胸に残った。ほんの束の間であったが私は彼女に恋をしたのかもしれない。

 ――そしてやっぱり彼女がムジナなのだと思った。


                    了
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