忌まわしき復讐

Posted by 松長良樹 on 09.2013 0 comments 0 trackback
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 街灯に霧のかかる湿った夕べの事であった。私は懐かしい女優、鮫島美佐江の写真展にいたのである。というのも私は若い頃、鮫島美佐江に惹かれて彼女の主演映画を何本も見ていた。それが回顧展をやっていると知人に教えられて、この会場に足を運んだ理由であった。
 彼女、鮫島美佐江は当時もう三十近くになり、美しさに磨きがかかり、益々円熟味を増そうという矢先、忽然とその姿を大衆の前から消した。今から三十年近くも昔の話であるが、その失踪の不思議もあって私はその神秘的な彼女のシネマ写真に魅入っていたのである。
 一通り会場を一周し、胸に迫る想いに何度も溜息をついた頃、そのフロアの角に長椅子があり、そこに薄汚れたマントのような布きれを纏った老婆を見たのである。
 会場は照明効果を狙って薄暗くしてあり、壁にかかる写真が引き立つように、要所々々にスポットライトが配置されてある。老婆はその中の一枚の写真をじっと凝視しているのである。私はその写真が気になって、老婆の横に腰をおろし(足が疲れたこともあったが)その老婆の視線の先を追うと、忘れもしない名作『冬の華園』の時の彼女の半裸の肢体が生きているように艶めかしくライトに映えていた。
「あんた、彼女のファンだったのかね?」
 老婆にしては妙に張りのある声であった。だが額まで皺だらけの、暗く目の窪んだ老婆である。
「え、ええ。鮫島美佐江の出た映画ならほとんど見ています」
 私はとっさにそう答えたが、その時には老婆の視線はすでに私の視線に重なっていた。
「それなら、あたしの話に少し付き合わないかい? ある女が失踪したんだ。若くて凄く綺麗だと評判の女だ。あんた、そういう女の話が聞きたくはないか?」
「は、はあ?」
 出し抜けであった。そんな風にして私はその老婆の話をきいた。
「その女がある時恐ろしい事故に遭ったんだ。セットで使った熱湯が誤って彼女の顔にかかった。不運だった。まったく不運で相当の量の熱湯を彼女は、顔半面から喉にかけて浴びた。酷い大火傷だ。火傷は皮下にまで及び、皮膚は引きつれ、ケロイド状になった。その時の彼女の気持ちがあんたにわかるかい? 天国から地獄に突き落とされたような気持ちがあんたにわかるかい?」
 そう言って、老婆はじろりと私の目の奥を覗き込んだ。背筋がぞくりとしたが、返す言葉も見つからなかった。
「それでいったんは悲嘆にくれ、自殺まで考えた彼女だったが、どうしても自分の美しい顔が取り戻したかった。世の男達の丁重な態度が忘れられなかった。で、彼女は腕の良い整形外科を探し回った。そして人工皮膚の移植を試みたが、これが失敗し返って顔が醜くなってしまった。この時彼女は癇癪を起して医者に殴り掛かったらしい。他の医者は体の別の部分の皮膚を移植すると言うばかりで、それも彼女は嫌だった。好きな男と寝るときに体の傷を発見されるのが怖かったんだ。そこで、恐ろしい事を彼女は考え始めた。
 彼女には一人の妹がいた。実はその妹は生まれつき脳に障害があり、言葉もろくにしゃべれなかった。ただ、顔は姉に似てとても美しかった。彼女はその妹を子供の時からとても可愛がっていた。妹も姉をとても信頼している風だった。だが、彼女はきっとその時にはたぶん半分気が違っていたんだね。いったん世間の脚光と、富と名声を手にした者はそれが忘れられないんだ。どうしてもそれがもう一度欲しくなるんだ。
 彼女は妹のきれいな皮膚が欲しくなった。堪らなく欲しくなった。顔の皮膚がね。そして今まで妹が生きてこられたのも、自分の経済的な援助があったからこそなのだから、あたしにも少しは報酬があってもいいはずだ。と言う風に考えたんだね。そこで彼女は妹から皮膚をもらう事に決めたんだ。妹に了解も何も求めないままでね。
 惨いじゃないか。妹は薬を嗅がされ、話のわかる欲の深い整形外科医に運び込まれたんだ。むろん医師には秘密と多額な報酬が用意されていた。
 移植手術は長い時間を要したが成功したんだ。そりゃもう彼女は喜んださ。その時には妹の面倒は一生あたしが看ると言ったそうだ。そして一年のブランクを経て、彼女はカムバックした。銀幕のスターにさ。だが主演映画の出演が決まり、撮影が始まった直後、カメラマンの男が彼女のアップを撮っていた時、いきなり、彼女の顎のあたりから血が噴き出して、相手役がその血を浴びたんだ。周りも騒然としたが、彼女は凄まじい悲鳴をあげてその場から何処へともなく消えた。
 そして妹は発狂して間もなく死に、彼女の移植した皮膚は青黒く、かさかさに変色しだしたんだ。それは顔だけじゃない。全身に広がって、まだ三十の彼女を瞬く間に、あたしみたいな老人に変えてしまったんだ。あたしみたいな醜い老婆にだよ。どう思う? あんたそれをどう思う?」
 私はその時の悲哀に満ちた驚きを未だに忘れられない。そして私が居たたまれずにそこを立ち去ろうとした瞬間、老婆は私の背中にこう言った。
「復讐だよ。不憫な妹の復讐に違いないんだ。そうだろ、妹が目を覚ましたら顔の半分の皮膚は無残に剥ぎ取られていたんだ。その時の妹の気持ちがあんたにわかるか?!」
 鬼気迫る声であった。悍ましい叫びであった。

 ――私は振り向きもせず、無言でその会場を後にした。

                  了


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