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鬼畜

Posted by 松長良樹 on 14.2014 0 comments 0 trackback
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 貞治さんは僕の大切な友人だったはずなのに、結果に於いて貞治さんが死んでしまって、あの独特の照れたような笑いが、二度とみられなくなったのは紛れもない事実だ。
 元々貞治さんは心臓が悪くて、時々発作みたいのを起こして胸ポケットからニトログリセリンの錠剤をだして服用していたのを僕は知っていた。
 僕が貞治さんと初めて会ったのは囲碁クラブだった。それまであまり囲碁を知らなかった僕はある時ポーの「モルグ街の殺人」をひょんな事から読んで、その冒頭の部分に将棋やチェスは注意力こそが大切だが、碁は分析力まで必要とする最高位の盤ゲームであると、作中の人物に断言させているのを読んでとても興味を惹かれた。
 思えば亡き祖父が碁をやっている風景が僕の記憶にある。家には昔、碁の本が沢山あったのだが、母がみんな処分してしまった。
 まあそんな訳で、猪突猛進的な性格を持つ僕は、一から碁をやってみたいと思い立って、すぐに町の囲碁クラブに入会した。あれは大学を出たのはいいが、中々就職が決まらなかった頃の事だ。
 そのクラブで最初に話したのが、他ならぬ木村貞治さんだった。貞治さんは四十絡みの、額の広い聡明そうな紳士で、殆んど碁を知らない僕に呆れていたが「このクラブは碁が好きで、碁の出来る人達が集まるところなのだよ」と言いながらも独特の笑いを浮かべながら、とても暖かく僕を迎えてくれた。そして親切に碁の手ほどきをしてくれた。なので僕はすぐに囲碁の面白さを知り、すっかり囲碁が好きになってしまった。
 貞治さんと僕とはとても馬が合い、碁だけにとどまらず時事談義や、小説や、映画や、競馬までにも話が及び、とても楽しい時を過ごすことが出来た。あるとき貞治さんは僕と碁をやっていて接戦の末、僕が負けたときにこう言った。
「君は筋がいい。いやまったくいい。中学生あたりから、君が碁に精進していたら一角のものになったかもしれないね」
 僕はその言葉が貞治さんの本心から出たのかを少し疑ったが、囲碁クラブで敵がいない貞治さんにそう言われたのだから、まんざら悪い気がしなかった。あの時も貞治さんは独特の笑いを湛えていて、負けて悔しい気持ちを僕は少しも感じなかった。
 そのまま何事もなく時が過ぎたのなら、僕は今だって貞治さんとは良き友人(歳は違うが)でいたに違いないのだ。
 それがそうならなかった原因のすべてが貞治さんの奥さんにある。
 貞治さんはある時「家に飯でも食いに来いよ」と僕を誘ってくれた。最初は遠慮していた僕だったが、ある週末に夕飯をご馳走になった事があって、そこで僕は初めて奥さんの美奈代さんと会った。あの時の衝撃を僕は今でも忘れられない。
 美奈代さんは凄艶な程に美しい女性だったので、僕はすっかり緊張しまくって、何をしゃべったのか、呂律さえまわっていなかった。
 ぞっとするほどの白いうなじ、しっとりと濡れた唇。そいて妖しい情的な視線。そんな風に感じてしまっている自分の事を、貞治さんに気取られてはいけないと思い、無表情を決め込んでいたが、そんな僕を知ってか知らずか、まったく貞治さんは朗らかだったのを憶えている。
 それからというもの僕は、毎週のように貞治さんの家にお邪魔して碁を打ったが、それは碁よりも、奥さん会いたさだった事には間違いがない。しかし美奈代さんは少しおかしな女性なのだった。歳は僕よりもひとつ上で、再婚であったが子がなく、何かこう情念を持て余しているような感じがした。
 例えば貞治さんがトイレに立った時など、美奈代さんはすかさず傍に来て、その熱い吐息を僕の頬に吐きかけたりして、僕が困るのを愉しむようだった。それまで奥手でほとんど彼女らしいものが出来たことのない僕は、不思議な愉悦で胸が高鳴るのを止めようもなく、罪の意識に苛まれながらも、美奈代さんに魅入られ夢中になって行く自分をどう征するも出来なかった。あの時の僕は情欲の奴隷になりさがっていたのだろう。
 そんな折りに、美奈代さんから二人だけで逢いたいと言うメールが来た。これはもう誘惑だなと僕は高鳴る胸を抑えるようにしてそう思った。
 初めて二人であったのは居酒屋で、場所もなにも美奈代さんが指定してくれた。そして酒や料理を十分堪能した後、ろくな会話もないまま、二人でホテルに入ったとき、美奈代さんはその肌を惜しげもなく露わにしながら、涙をためて驚くべき事をこの僕に告げるのだった。
「わたしは貞治が恐ろしい。だってあの人は異常者なのよ。わたしの体はほら、このとおり……」
 僕は最初その言葉の意味を察しかねたが、彼女の背中に痛々しい青痣を見た途端に、貞治さんが酷いサドであることを知った。そして彼女の首筋には紫色の、まるで蛇にでもまかれたような痕が歴然と残っていた。とても信じられないような惨い出来事であった。
「ねえ、春樹さん。わたしをどうか助けてちょうだい。あの人から自由にしてほしいの。あの人はわたしの首を毎晩締め上げて、悦に浸っているのよ。あの人が怖いの。今にきっとわたしは殺される。どうか助けてください」
 はらはらと泣き腫らす彼女を見て僕は衝撃を受け、美奈代さんがとても哀れになった。そして夢中で彼女を抱き締めたが、その晩から僕の中に貞治さんに対する、憎悪が沸々と湧き上がってきて、それは僕自信でもどうにも抑えることが出来ない恐ろしい感情なのだった。
 だが、それから貞治さんの重度の狭心症は悪化する一方だったし、これと言った手立ての浮かばない僕は、貞治さんの死を密かに願わずにはいられなくなった。
 そしてあの恐ろしい場面がやってきたのである。あれは囲碁クラブにめったに顔を出さなくなった貞治さんが、珍しくやってきて僕と碁を打ってから一緒にそこまで帰ろうと、クラブのある雑居ビルの長い階段を下りた時の事だ。
 いきなり貞治さんが「痛い! 痛い!!」と叫んで苦しみだし、その場に腹ばいに倒れてしまった。顔は蒼白で幽鬼のように見えた。そして傍にいた僕に小声で「ああいけない。うっかりコートを忘れてきた。悪いが急いで戻ってコートをとってきてくれ、薬がポケットに……」と胸を掻き毟りながら訴えたのだ。
 僕はその時すぐにクラブに駆け戻ったのだが、悪魔が囁いたのだろう、僕はコートも持たないまま裏口から、外に飛び出して走った。考えてみるとそういう機会をいつも狙っていたのかもしれない。僕はあの時、酷い発作に襲われた貞治さんに薬を飲まさないでいたら、このまま死ぬに違いないと思ったのだ。
 だが貞治さんを見捨てた時の恐怖もまた尋常ではなかった。もし逆に貞治さんが回復していたら、僕をどういう人間だと思うのだろうか? 僕は鬼畜だ。

 けれども現実は惨いもので貞治さんは死んだ。でも僕はあの時のいきさつを、噯(おくび)にも出さず、返って驚き悲しむ演技をしてのけたのだった。そして翌年には、僕は美奈代さんと一緒になった。僕と美奈代さんの幸福な生活は一年ぐらい続いたのだが、この頃になって美奈代は夜毎に酒を飲んで帰宅するようになった。それもどうやら美奈代は他に男をつくっているらしいのだ。生まれつき勘の鋭い僕には、それがすぐにわかった。とても変わってしまった美しい美奈代。
 ある晩僕は、どうにも我慢がならなくなって、酒に酔い潰れて帰ってきた美奈代の頬に平手打ちを食らわせた。すると美奈代は気が違ったみたいに激情してこう言うのだった。「よくもまあ、わたしに手をあげられたもんだわね! 貞治の財産と保険金でこんないい暮らしができてるってのに、わたしのやることが気に喰わないなら、この家から出ていけばいいじゃないか。このぼんくら!」
「な、なにをー」
 僕は頭の中がかっと熱くなっていた。しかし酒のせいか美奈代は驚くべきことを言うのだった。
「このうすのろ! だいたいあんたが貞治を殺すように仕向けたのに、あんたは何もできなかったじゃないか! だからわたしが薬を抜いておいたんだよ。そうでもしなかったらあんたは今だって職なしの風来坊のままだったわね」
 僕はあの時の冷水を浴びせられたような驚きを、憎悪を忘れられない。
「く、薬を抜いたとはどういう意味だ、美奈代!」
 僕は美奈代の両肩に手をかけて激しく揺すぶっていた。美奈代は僕の平手打ちで唇から血を流しながらも、嘯くように続けるのだった。
「あのとき貞治は心臓病が悪化していて、外出さえままならないのに、あんたに逢いたいといって囲碁クラブに行ったんだ。わたしはこれはいいチャンスだと思ったね。それで発作でもおこってくれればいいと思って、薬をよく似た胃腸薬とすり替えておいたんだ。そしたら、ははははははっ、どんぴしゃりと死んでくれたわ」
「美奈代!おまえ」
 僕はもう我を忘れて震えていたに違いないのだ。
「だいたいが、わたしの体の絵の具で描いた痣を見て本気にしていた、あんたって人は大馬鹿だよ。てっきり貞治を殺してくれるかと思って期待したのが甘かったかもしれないけど。あははははっ! もともとわたしはあんたなんかこれっぽっちも好いてなんかいないんだ。わかったかい!!」
 その時の救いようのない酷い落胆と激怒は、充分に僕を僕でないものに変えていた。
 胸中に渦巻き、滾る衝動!! 僕はなかば無意識に美奈代の首を締め上げていた。

  *  *
 
 貞治さんは僕の大切な友人だったはずなのに、結果に於いて貞治さんが死んでしまって、あの独特の照れたような笑いが、二度とみられなくなったのはとても悲しいのだが、僕は今でも鉄格子の中で、貞治さんのあの優しい笑顔を時々思い出す。


                         了
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