ある別れ

Posted by 松長良樹 on 03.2014 0 comments 0 trackback
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 信野早紀はちょっと変わった女だった。歳はまだ十九だが美人でも不美人でもなく、ちょっと猫背で団子鼻だったが、それなりに化粧をうまくすれば可愛い娘だった。
 それにしても早紀は付き合い出してから五か月も経つのに、恋人としての一線を越えようとしない圭介に業を煮やし、積極的に彼の心中を推し量ろうとした。まあ、ここまではいいがその手段が変わっていた。
 手紙を書いて彼の家のポストに投函したが、その手紙と言うのが普通ではなかった。その文面を明示すればこんな風。

 ――前略、全て略して率直に言う。早紀から手を引け、近づくな。さもないと酷い目に遭うぞ。俺は早紀に密かに思いを寄せる者だ。名は影の男とでもしておこう。とにかく忠告する。俺は誰より早紀を愛する。おまえのような情熱に欠ける奴には早紀を渡すわけにはいかない。断っておくが俺はおまえより、体力・知力・財力さえすべて上だ。諦めろ、さもないと命の保証はない――

 この手紙こそ早紀が書き圭介の心を試す為に送った、恐ろしく細工された手紙であった。書いてしまって少し後悔したが、早紀はこの手紙を読んでも圭介の気持ちが少しも揺るがないでほしいと願った。自分への思いはなによりも強くなければならないのだから。
 そして早紀は期待と不安と悪戯心の入り混じった、妙なわくわく感を愉しんでいるのだった。この手紙で恋から手を引くようであったらもう圭介は失格なのだ。手紙はワードでつくったものだったが、これを受け取った圭介こそ、いい災難であった。まさか圭介は早紀がこんな手紙を書くなどとは夢にも思わず、どうしたら良いのかと思い悩んでしまった。

 秋の日だった。二人は久しぶりに横浜の港に来て、大きな観覧車を見上げながらデートをした。むろん二人とは早紀と圭介だった。昼間は暖かだったが、夕方になると途端に風が肌寒く、秋の日はつるべ落としと言うけれど、いつの間にか夕闇が迫っていた。
「少し寒くなったね、圭介。夕食は何処にしよう」
 赤いワンピース姿を橋の下の水面に移しておしゃれをした早紀が言った。
「ああ、どこにしよう?」
 圭介は青いカーディガンの袖を腰に巻き付けていた。
「あら、もうちゃんと考えていてくれていると思った」
 圭介にいつもの覇気がない。それというのもあの手紙がどうも気にかかって気が晴れないのだ。無理もない。大学生の圭介にとってそれは重大な不安材料に他ならない。その種をつくったのが早紀なのだから酷いものだ。圭介にしてみたらあの手紙を書いた男が今にでもひょっこり現れ、自分に牙でも剥きそうに思える。いいようのない不気味さがあるのだが、自分の周囲をいくら見回したところで、思い当たる男なんていない。それは早紀の付き合っていた以前の男にちがいない、そう圭介は推察するのだった。
 手紙の件で思い切り早紀を問い詰めようとも思うのだが、生来が気の優しい圭介はそれもできず悶々とする。それに未だに早紀は手紙の事を言えないでいる。あんな手紙を出して悪かったと言う殊勝な心もある。しかし今更それが言えない。言って嫌われるのが怖くもある。だから、早紀は圭介の心を重々に察しられるのに、何も言わないで笑っているのである。
「この辺のホテルで食事って洒落込みたいが、あいにく今の僕にはそんな経済力はないから、この先の元町あたりで、カレーでも食べようじゃないの」
「まあ、じゃあ、今夜の食事代はわたしが出すから、ホテルで食事しましょうよ、せっかく横浜まで来たんだから」
「ところでさあ……」
「なに……」
「話さない気でいたのだけど、君の元彼から手紙がきたんだ。――今でも君を好きらしい」
「えっ?」
「どこをどう調べて僕たちの事を知ったんだか不明だれど、彼は病気らしい。病床の身だそうだ。そして君に会いたいけどその資格がないから、新しい恋人の僕に、君を幸せにして欲しいって書いてあった」
「まさか、何の話……。いったい誰それ、心当たりがない」
「いいんだ。とぼける事なんてない」
 冷たい風が吹いて冬がそこまで来ているように感じられた。そして無言。二人はいつまでもしゃべらなかった。大きな観覧車が何回もまわった。
「どうして彼の事を僕に隠していたの?」
「……隠してなんかない」
 早紀がおもわず彼の腰に手を回した。
「僕は身を引くよ。早紀、彼は君を待っているよ、きっと。そう思うんだ」
 そう言ってゆるく圭介が微笑んだ。圭介はただだまって夕焼け空を見上げているばかりで、早紀はどう言ったらいいのか途方に暮れる。

 ――涙があとからあとから溢れて来るのだけれど、その涙は橋の下の水の中に吸い込まれて見えなくなった。

                                    了

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