甘夏になった月

Posted by 松長良樹 on 03.2016 0 comments 0 trackback
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 世の中には面白い事がいきなり起こることがある。いや、この場合面白いと言ったら不謹慎かもしれないので、飛んでもない事と言い変えておく。
 ――あるとき月が突然、甘夏になってしまった。
 しかし、このことを常識のある大人達、とくに科学者のお歴々は「ありえない」の一点張りで簡単には認めなかった。
 反対に子供たちは、夜空を見上げながら、ああ、月が甘夏になってらあ、こりゃ、食べるしかないでしょ、なんて無邪気なことを言って喜んでいた。
 ◇
 その男は挙動不審だった。彼が何をしていたのかというと公園のベンチの近くで金属製の物差しを使ってなにか測っている。元刑事である大西はなにか妙な好奇心に駆られてその男をしばらく観察していた。そしてそのベンチに腰を下ろした。
 怪しいものが見過ごせないのが大西の習性だから仕方がない。男はグレーの作業服姿で工具箱のようなものを持っていた。そして顔をしかめながら、なにやらぶつぶつ独り言をいっている。現役から退いたと言っても大西の耳はいい。だからその独り言を聞き漏らさなかった。
「ああ、厄介だなあ、ほんとにもう」
 こんな独り言である。同じことを何回も繰り返している。
「なにが、そんなに厄介なんです?」
 大西は我慢できずにそう訊いた。すると男は一瞬びくっとして、大西を見つめた末、めんどくさそうにこう言う。
「どこの誰が何をして、こんなことになったのか知りませんが、わたしゃ、それの尻拭いをしなけりゃならないのです。まったく余計な仕事ですよ」
 そう言いながらも男は物差しをベンチの脚にあてがい、傍にある杉の木までの距離を測っている。落ち着きがない。
「ああ、まだ2ミリほど違うなあ」
 男はそう言うとベンチを木の方に引きずった。大西の体重が80キロあるから怪力といっていい。
「どういうことですか?」
 大西が体を揺すられながらそう訊いた。
「世の中、寸分の一ミリ狂ってもそれが終いには大変な事態を招く。あんたラプラスの悪魔を知っていますか」
「さあ、悪魔ですか?」
「わからきゃいい、まだ悪魔は生きています。さてと」
 男もベンチに腰を下ろした。
「ここだけの話ですがね、あと五分で黄金虫がここに飛んでくる。その黄金虫の軌道を変えなければならない。それが私の仕事です」
「黄金虫ですか?」
「そう、あなたこの世の物質がすべて粒子で出来ているくらいわかるでしょ。その粒子同士が互いに干渉しあって今の宇宙を作っている。ミクロの粒子世界が、マクロの世界を構築している。それの関係性が時たま狂う、それを直すのが私の仕事です。私は修理屋」
「なんだか、よく解りませんがねえ」
 ◇
月が甘夏になった事に対しての各国政府の見解は諸説に分かれてしまった。
 ――人類の集団妄想……。 あるいは無数の光子の集まりが、全体としてうねうねした波のような動きをしており、その波の作用によって月が甘夏に見えているが、これは一時的な現象で、また時間が経過すれば月に見えてくるとか、挙句の果て不確定性原理まで飛び出した。
 結局、よくわからないので、国連で編成された科学チームが月までロケットを飛ばすことに決まった。実物を調査する以外にないとの結論である。
 ◇
 そのとき男の鼻先に虫が飛んできた。黄金虫だ。
「動いちゃダメ!!」
 高い声で男は大西にそう言い、その眼差しは真剣に黄金虫を追っている。
「ここは成り行にきに任せないと」
 すると黄金色は何回か大西の頭の上を旋回して杉の幹にとまった。そこで初めて男が動いた。男は虫を上から掴むと、幹の右方向に歩こうとしていた黄金虫を、左方向に歩くように強制した。そしてしばらくじっと観察していたが、木の陰に黄金虫が消えると、安心したような表情をつくった。そして工具箱の中からノートパソコンを取り出すと、物凄い速さでキーボードを打ち、エンターで完了させた。
「これでいい。仕事は終わりました」
「仕事? いったいなんの仕事です」
 大西が胡散臭そうな顔をしている。
「言っときますけど、あなたと私は無駄話をしたわけじゃないのですよ。これも干渉のひとつで修正の筋書きなんですよ」
「なんだか、あなたの言うことがさっぱりわかりません」
「わからくていいですよ。逆にわかったらそれも問題です。さてと、次の仕事もありますので、ではっ」
 怪訝な顔の大西はその男がいつ消えうせたのか覚えていない。
 ◇
 科学チームが月までロケットを飛ばすそうとする矢先、甘夏になったはずの月が元に戻っているのに驚嘆した。夜空には美しい三日月が輝いている。狐につままれたようで、さすがの科学者のお歴々も「科学的に説明がつかない」とさじを投げてしまった。


                      end

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