テセウスの甘夏

Posted by 松長良樹 on 20.2016 0 comments 0 trackback
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 この記述はあまりに内容が常軌を逸しているので、栽培者であり、当事者である私はこれを公の場に発表するのが躊躇われてならないし、私の精神鑑定書でもつけない限りは到底世間はこのことを受け入れてはくれないと思う。
 しかしながら、私の馬鹿正直な性格は損得顧みずにこのことを告げすにはいられない。だから順を追って、時系列に書いていこうと思う。
 ――私の趣味は家庭菜園だった。親から受け継いだ広くもない土地に、いろいろな野菜を植えては、収穫し、近所に配ってみたり、会社に持って行ってみたりするのが楽しみだった。
 そんなある朝、庭先でドスンという音がした。
 早朝だし私はびっくりして寝ぼけ眼で外に出てみると、そこにはぼろぼろの布袋が落ちていた。恐る恐る中を見ると、何かの苗木が一本だけ入っていた。わけもわからず、私はずっとそれを放置したままだったが、しまいにそれが何の木なのか無性に確かめたくなって、庭の隅の日当たりの良い場所にその木を植え付けた。そして速効性の化成肥料を与え、どんなものになるのか興味津々に待った。飼い猫のケンタも異様なほどそれに興味を示した。
 するとその苗は一年もしないうちにすくすく2メーター程に成長し、一個の実をつけた。私は植物図鑑などでそれを調べ上げ、夏みかんであることを知った。資料によれば通常なら結実まで四~五年要するはずなのに、一年でたった一つだけ、実がついた。特別手をかけたわけではないし、理由もわからない。
 そこからが尋常ではないのである。その夏みかんは一晩で直径が50センチにもなるほどになり、気持ちが悪くて実を切り取ろうとすると、茎からシャワーのような霧の噴水が出て、私は目をやられた。
 視界がぼやけて見えなくなり、熱が出てしまった。やむなく私は寝込む羽目になってしまったが、独り身の私は医者に行くこともできなかった。
 数日したころ、ようやく熱が下がり、食事をとり、目も何とか見えてきたので、外に出てみて私は心底仰天した。
 そこには細長く人ほどに成長した夏みかんがあった。私はどうすることもできず、一日近くそれを眺めていたが、人に知らせるのもなんだか気が引けて、うら寂しい気持ちになった。どうしようと何度も自問したあげく、ため息をついて、その巨大夏みかんに近づき、そっと触れてみた。と、「あーっ」といううめき声のようなものが聞こえたのである。
 私は思わず手を引っ込めて辺りを見回したが、その低い声はどうやら、その夏みかんの中から響いて来るのだった。背中に冷たい水でも流されたような、ぞくりとする恐怖、
 私は一瞬固まったが、意を決して台所に走った。そして包丁をもって夏みかんの皮を少しずつ剥いでいった。
 今思うととても恐ろしいが、あの時の私は何かに魅入られたに違いないのだ。しばらくみかんの厚い皮を切っては捨てるのを繰り返すと、酸っぱい匂いがして、白い薄皮が現れ、その中にさらに粘膜に包まれた塊があるのが分かった。
 臆病な私がなぜそこで怖気づかなかったかわからないが、その膜を破ると、大量にぬるりとした羊水のような液体を体に浴びた。そしてそこに裸の人間が眠っていた。その時には、なぜか私は恐怖を感じなかった。しかしその裸の人間の顔を見て気が遠くなったのである。それは私と瓜二つの人間だった。
 私はそこで気絶したが、今、その怪奇を回想してみて、私が本当の私であるかがわからなくなった。きっとケンタも見分けがつかないのだ。
 気が付いた私の足元に、人間の皮らしきものが、無造作にぬぎ捨ててあるところを見ると、たぶん私はそのみかんの怪物に身体を盗まれた可能性が高い。これはもうボディ・スナッチャーではないのか!

 だが私にはこうも思えるのだ。みかんの怪物がもしも私の完全なるコピーであったとしたら、記憶や性格も寸分変わらないとしたら、それはつまり私なのではないのか。だからこの事を世間に知らしめるべきか迷うところだが、どう考えても世間は信じてくれそうもない。

  ◇  ◇

「どう、このショート&ショート?」
 私はそういって 原稿をプリントアウトして渡すと、さっと目を通してから妻がこう言った。
「うーん。これコンテストに出すの? また没かもね。これ」
「そうかなあ……」
 浮かぬ顔で私は妻の剥いてくれた甘夏をかじった。 なぜかすっぱかった。


                  END


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