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色彩回廊

Posted by 松長良樹 on 24.2016 0 comments 0 trackback
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「色についてなんですけど……」
 たどたどしい口調で紺野君が質問した時、私はちょっと驚いた。と言うのも紺野君は極端に無口な少年でそれまで私は紺野君の声をほとんど聞いたことがないくらいだった。逆に私が紺野君に話しかけても煮え切らない返事しか返ってこない事が多かったから、少しばかり嬉しくなった。
「色についてって、どんな事?」
 私はなんでも聞いてという表情で紺野君にきき直したと思う。そうすると紺野君はもじもじして低い声でこう言った。
「例えば僕が赤い鉛筆をみんなの前に出して、これは赤い鉛筆ですと言えば、きっとみんなはそんなの当たり前だと答えますよねえ」
「うん」
「でも、もし僕が黒を赤だと誤解していたらどうなるのでしょう? つまり僕には黒に見えているのに赤だと思い込んでいるとしたら、赤と答えても本当は黒だったら……」
「ええっ? ややこしいね」
「黒のことをみんなが赤だというから、僕が赤だと思い込んでいるとしたら」
 私は少し困った。そしてしばらく考えてからこう答えた。
「なるほど、それは面白いけどかなり難しい話だね。昔から色の感じ方には個人差があるというけど、でもそれは考えすぎというか、意味をなさないというか、強いて言えば一種のパラドックスのようなものじゃないかな。 ――赤は赤だよ。そういうしかない」
 私は紺野君の中に鋭さのようなものを見つけた思いがした。と同時になにか妙なものを感じたのも事実だ。
「誰も見ている色の証明ができない。同一の色知覚を共有する事なんてできない。そうでしょ先生、本当はみんな同じ色を見ていない……。最近そう思う時があります」
「そうか、そうかもしれない。そもそも人の視覚なんてかなりいい加減なものだしね。人は三原色しか見えないから、他の色はそれの混合だよね。でも人の視覚は他の動物に比べれば優秀でしょ。色彩感覚はかなりいけてると思うけど」
 私は多少微笑んで見せた。しかしそれは自分の気持ちを落ち着けようと思ったのに違いなかった。
「色彩は単なる主観でも単なる客観でもなく、人間の眼の感覚と、自然の光の共同作業によって成立する――。そうゲーテが言っています」
 筋の通った論法なのに紺野君がなんだか恥ずかしそうに言った。
「すごいな、紺野君。君を見直したよ」
 私はそのときには紺野君がアスペルガーだと診断されたのを知っていた。だから彼に気を遣ってそういう風に言ったのだろう。
「先生、僕は将来、色の研究がしたいです」
「ああ、そうか。いいじゃないか。応援するよ」
 痩せていて眼鏡をかけた紺野君にはあまり表情がなかった。

 私はもう中学の理科の教師を引退してしまったけれど、紺野君のことを時々思い出す。
 思い出の色彩はいつまでも鮮やかなままだ。

 地響きとともに鋭い光が世界を覆ったとき、色彩は死んだ。

 紺野君は色彩が失せてしまった世界で、色について今でも研究しているのだろうか。
 ――昼も夜もない無機質な空間で私は静かにベッドに横たわった。

                         end
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